夏山の日々'12.7.25

 今夏の天候は決して山登り向きとはいえない。とりわけ週末を中心とした山は極めて散々たるものだった。そうはいっても6末から7月1日の四国の百名山、希少種の花はまだ1ケ月も先ながら、この日の雨具はザックに眠ったままであったのだが、この後がいただけなかった。

 一週目は北陸の百名山、日本でも有数の花の山ということで早くからのガイド指名によって万全のフラワーウオッチング体勢を用意周到で固めていたのだ。
 だがしかし、前々日から降り続く雨、そして前日の夜間には集中豪雨となってしまい、遂には現地の道路事情は通行止、この情報が当日集合場所にて判明するということによって、中止という最悪の事態となってしまったのである。

 二週目は中央アの花の百名山、今年も満開のコマウスユキソウの姿に出会えるだろうと嬉々として向かったのだ。
 この週は確かに予報は芳しくはなかったのだが、それでも何とか曇りのち雨くらいで、豪雨そして猛烈な風等の予報は出てこず、そう心配せずにいたのだ。

 早太郎温泉に荷を解き、身を休めて翌日はいよいよ花めぐりだとバスに乗り込む時にはうす曇で、雨の予想など誰もが考えなかったのだが、予想に反してゴンドラ山麓駅のしらび平が近づくと、どうしたことかきつい雨となってきたのだ。
 それでも昭和42年完成の日本で一番の高所にある61人乗りのゴンドラは、満員の登山客を乗せてどんどんと千畳敷めがけて上がっていくのであった。
 山頂駅ではきだされた登山客は、いやおうなしに強風と雨の中に放り出され、さぁこれからどうしようとごった返す人ごみの中に呆然とするばかりである。

 これだけの風雨であれば木曽山脈の支尾根のピークの山までは無理だろう。だが縦走路の極楽平の稜線まで進み、風は一気にさらに強くなるにしても宝剣岳手前の分岐までは行こうと心に決めて、参加者にその旨を話してのスタートとしたのだ。

 すぐにウラジロナナカマド、クロマメノキなどが咲き、足元にはキバナノコマノツメが沢山見られて心和ませてくれる。
 そして雪渓が出てくるも、短いためになんなくクリアー、それに雨、風はあっても左側の草つき斜面にはいろいろな高山植物が咲き出している。コイワカガミ、モミジカラマツなどだ。
 だいぶ歩くと今度はきつい斜度で残雪が出てきた。用意のアイゼンは出さずに、より慎重に注意を促ながしてフラットな雪渓に上がると待望の極楽平の道標が立っていた。

 ところがここで予想をはるかに超える強風ではないか。もちろんあたりは一面真っ白である。視界は2〜30メートルだろうか?、メンバーの不安げな顔が並び、風を避けて小さくなる人もいる。
 でもこの時点では不調を訴えたり、寒くてしかたないとの人はまだいない。すぐにコマウスユキソウのきれいに咲く姿が目に入り、一同猛烈な強風を忘れてこれがエーデルワイスの仲間で一番小さい花かと騒然となって興味を示すのであった。でも強風でデジなどとても無理なのだ。
 珍しいのはこれだけではない、傍らにはハハコヨモギという、アラスカが本拠で日本には中部地方の高山に見られて、いわゆる隔離分布の珍種の植物である。

 このように花の百名山の名に恥じない稜線歩きとなるのだが、サギダルの頭側の切れ落ちる細い登山道には特に滑落注意を促しながら、なんとか宝剣岳手前分岐到着である。しかし、強風は強くなるばかりのようだ。
 もちろん、すぐそばの宝剣岳はおろか、目指していた三ノ沢岳すらまったくどこにあるのか知れない状態である。あのピークはこの方向に座っているのですがね・・とつれない説明しかできない。せめてわずかに見えている取りつきの道を指差すくらいであった。予定通りここで撤退だと決心する。
 ここでメンバーにご覧のような天候です。これ以上の強行は危険と判断して、いさぎよく勇気ある撤退としましょうと言わざるを得なかったのである。もちろん、そうしましょう。との言葉はあっても異論の声は皆無であった。

 後は今来た道を逃げるようにして戻るだけだが、最初の雪渓をやや岩交じりの左方向にトラバースして事なきを得て、千畳敷へ下山したのである。
 まだごった返している千畳敷のゴンドラ駅に着いたメンバーが一様に安堵感からか、笑顔の並んでいるのを見て、山頂を踏んではもらえなかったのだが、これでよかったのだと胸を撫で下ろしていたのである。

 

 帰宅後、今回の山行の同じ山塊で発生した遭難事件のノンフィクション小説であり、相当昔に読んだのだが、ほとんど内容に記憶のない新田次郎「聖職の碑」を早々に追ってみた。

 この話は今はさかのぼることおよそ100年も前の実話であり、気象予報のまだまだ未熟な時代背景からして台風すら予測できない悪天候時に学校登山の修学旅行として登ってしまったのだ。
 その概要は大正2年8月26日、伊那駒ケ岳に登山した中箕輪尋常高等小学校生徒ら37名は、突如襲った台風に遭遇し、生徒9名青年1名校長1名が遭難するという教育史上類を見ない大惨事となった。

 新田次郎の、その嵐の中での迫真に迫るタッチの筆が唸ります。
吹きすさぶ嵐の中でやっとたどり着いた山頂。しかし、そこにあるはずの山小屋は、何者かによって破壊されており、生徒たちは猛烈なる強風と豪雨の中で、たちまち体温を奪われて寒さに震える。
 赤羽校長は、廃材を利用して仮小屋作りを命じ、茣蓙を張って野営を試みるが、1名の少年の死に顔を見て、パニックに襲われた青年達が勝手に茣蓙を奪って外に飛び出したことから、低体温症による疲労凍死でみるみる小さな少年の命が失われるのである。そして事態は収拾のつかない破局に向かって急展開していくのであった。

 それに運の悪いことは重なるもので、新田次郎は遭難の原因として、次の6つを挙げている。
@ 役場の指示による予算節約のため、案内人を雇わなかったこと。
A 生徒たちに、天候急変の際に対処するための十分な装備をさせなかったこと。
B 責任者による下見登山を行わなかったこと。
C 山小屋である伊那小屋が壊されていたことを知った時、すぐにさらに先の木曾小屋に避難しなかったこと。
D 一緒に参加した青年らへの指導力不足から、結果として風速30m以上の強風の中に生徒を無防備のまま送り出すことになってしまったこと。
E 下山の際、樹林帯の中を通らず、ルートを熟知しているからと最も風の強い内ノ萱ルートを下ったこと。

 このような遭難事件を肝に銘じて、今後もこの山塊に踏み入れる機会は多いと想定されるため、このルートを歩いてみるのもいいなと思うのだが・・・

 さて、続いて三週目はまたまた北陸の花の百名山行きだ。幸いにも今度は登山口下の駐車場までバスは入ってくれた。

 予報では初日は雨のち曇り、後の二日間は曇りでしょうとのことでやれやれの思いで出発だ。しかし、初日の移動日は雨は降ったり止んだりだが、これは車中だからどうってことはない。

 しかし、二日目の雨には泣いた。登山道の雪渓はなくなってくれていたのだが、その代わり道は川と化しているのであった。
 もっとも注意を促しながらの歩行、ゆっくりゆっくりの歩きのために、石畳はそう滑ったり、転んだりの危険状態は免れたが、長時間による雨中の行軍のためにどうしても衣類への濡れが伴うこととなった。

 白山の室堂山荘は乾燥室も超満員で、衣類はそう思うようには乾かない。そんなこんなで、予定していた着いた小屋一帯の室堂平での花めぐりすら、気がめいって参加希望がなくなる始末であった。
 大きな山小屋のために、寝泊りと食堂、喫茶等との行き来も、雨降りで億劫になるために、暗くて湿った部屋での長時間の滞留となるのであった。

 
神主によるお日の出万歳三唱

 せめてもは最終日に雲が高かったとはいえ、なんとかお日の出遥拝が叶えられたことから、お客様には印ばかりの感動を得ていただけたであろうか。

 もちろん、下山時はなんとか雨も上がって、ゆっくりのんびり花めぐりを楽しんでもらい、テガタチドリ、ノビネチドリ、キソチドリのラン科の花やミヤマダイモンジソウ、ハクサンフウロ、シナノキンバイ、ミヤマキンバイ、イブキトラノオ、ムカゴトラノオ、オタカラコウ、ヨツバシオガマ、チングルマなど数え切れない花々を楽しんでもらえたので、最初の二日間の雨降りをすっかり忘れて、この度のツアーは最高によかったとの声が聞けた。
 しかし、当方の本当の心のうちは、すべてお天気であったのなら、もっともっと一生忘れられないほどの、すばらしい山だったとの感動物語になったのにとの思いが本根でもあった。 

 
ミヤマダイモンジソウ(ユキノシタ科)

 さて、今週からは北ア3本、続いて南ア3本、中ア1本のすべて百名山ばかりが待っているのだが、体調管理に十二分なる配意をもって乗り切りたいものである。

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